とと姉ちゃん|花山伊佐次は内務省で戦意高揚を担当!花森安治は?

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、甲東出版に入社した常子は

花山伊佐次(唐沢寿明)と運命的な出会いをすることになります。

 

後に共に出版社を立ち上げることになるふたりですが、

花山の偏屈さは業界では知らない人がいないほど。

 

花山に会いに行った常子でしたが、花山は「帰れ」の一点張りです。

 

ドラマでは内務省の宣伝部にいる花山ですが、

その担当は戦意高揚のためのポスター作りです。

 

ともすれば戦争に加担しているようにも見える花山ですが、

そのモデルとなった花森安治はどうだったのでしょうか?

 

大政翼賛会

 

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花山伊佐次は内務省で戦意高揚を担当! 花森安治は?

 

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花山伊佐治のモデルの花森安治ですが、当時(昭和16年)は

大政翼賛会の宣伝部に勤務していました。

 

大政翼賛会をひと言で説明するのは難しいですが、要は国家体制推進のために

昭和15年(1940年)10月に結成された組織です。

 

戦時下の当時、国政レベルから市町村レベルまですべてを一元化させて

意思を統一させるために組織された団体で、すべての政党や民間団体は

その傘下に置かれました。

 

そして当時の国策は戦争を推し進めることでしたので、

これに反対する左翼団体などは徹底的に排除していきました。

 

まさに戦争の遂行に大きな役割を果たした大政翼賛会ですが、

花森安治はその宣伝部に勤務していました。

 

宣伝部の役割は戦意高揚のためのポスターやスローガンを作ったり、

講演会のセッティング、民間の出版物の検閲などです。

 

このような大政翼賛会になぜ花森が入ったかと言えば、実は花森は失業

していたからです。

 

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花森は帝国大学卒業後に、戦前の化粧品大手の伊東胡蝶園に勤務して

コピーライター、デザイナーとしての頭角をメキメキと現していました。

 

ところが昭和13年(1938年)に徴収されて、満州に配属されます。

 

伊東胡蝶園は花森の才能を認めていたことから出征中も給料を支払い続け、

花森の帰国を待ちました。

 

そして翌年、花森は肺炎を患ったことを契機に軍務を解かれて帰国し、

昭和15年(1940年)の2月に伊東胡蝶園に復職します。

 

ここまではよかったのですが、同年の7月に「奢侈品等製造販売制限規則

(7・7禁令)が施行されて、あらゆるぜいたく品の販売や製造が法的に禁止されて

しまいます。

 

伊東胡蝶園で製造販売されていた化粧品もぜいたく品に指定されるものが出てきて、

その業務も縮小せざるを得なくなります。

 

そのため花森は恩人で同社の上司だった佐野繁次郎と話し合って、

伊東胡蝶園を退職します。

 

まさかの形で職を失った花森ですが、帝大時代に携わっていた大学新聞のツテを辿って

大政翼賛会の宣伝部に就職することになりました。

 

花森安治が大政翼賛会の宣伝部に就職したのも、まずは先立つもの(お金)を

確保するためだったのでしょう。

 

加えて花森は出征して前線の惨状なども見ていますから、庶民の暮らしを守るためには

戦争に勝たなければならないと考えたと言われています。

 

事後的に見ればこのような考えは間違ったものと指摘されるかもしれませんが、

当時としては小国の日本は大陸に進出することこそが列強に対抗する唯一の手段

と考えられていた時代ですから、さほど違和感はなかったように思えます。

 

ちなみに大政翼賛会時代に花森が関わったスローガンやコピーは、

「欲しがりません 勝つまでは」

「あの旗を射て」

「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」

などです。

 

ちなみにもっとも有名な「欲しがりません~」のコピーは長らく花森の作とされていましたが、

後に公募の作から花森が選び出したものであることが判明しています。

 

このあたりはドラマで唐沢寿明さんが演じる花山伊佐次は、どのように描かれるでしょうか?

 

戦争が絡んでいるだけにデリケートな面もありますが、注目ですね。

 

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